カウンセラーの紹介

ようこそ、仁カウンセリングオフィスへ

こんにちは。カウンセラーの大野功仁郎です。「感情や愛着という根源的な欲求が人と人とを引き離すのではなく、結びつけるものであってほしい」という思いから心理学を学び、心理士になりました。

 

これまで、精神科クリニックおよび企業のEAP(従業員支援プログラム)と連携し、薬物やアルコール、ギャンブル、性依存などの依存症や共依存のほか、虐待のある機能不全家族で育ったアダルトチルドレンなど、愛着トラウマによる感情調節、対人関係、衝動性の問題を抱える方々とそのご家族の回復を支援してきました。

 

恥や恐れに圧倒され「本当の私」から目を背けるのではなく。自分をより大きく感じようとして何かに頼りすぎるのでもなく。心の深いところにある「勇気」と「誇り」と「コンパッション(思いやり)」を花咲かせる。そのためのお手伝いができたら幸せです。

自己紹介

学歴

  • 名古屋市立 菊里高校 普通科卒業
  • 岐阜大学 農学部卒業
  • 同大学大学院 農学研究科修了(農学修士)
  • 東京成徳大学大学院 心理学研究科 臨床心理学専攻修了(心理学修士)
    指導教官:石村郁夫 東京成徳大学大学院准教授 
  • その他、心理学系の単位を取得する目的で入学し在籍した大学:Temple University Japan、放送大学

職歴

  • 2000~2003年:岐阜県立岐阜農林高等学校教諭(農業)
  • 2003~2006年:IT企業勤務(Webデザイナー後、Webディレクター)
  • 2007~2020年:Webデザイン事務所開設
  • 2019~2020年:依存症専門のアパリクリニックおよび、東京都北区立豊川小学校一般級および特別支援級にてインターン
  • 2020~2025年:依存症とDV専門のカウンセリングルーム セコイア勤務(主任カウンセラー)
  • 2025年:仁カウンセリングオフィス開設

心理に関する資格

CFTのトレーニング実績

コンパッション・フォーカスト・セラピー(CFT)は英国を中心に広まり、うつ病、PTSD、強迫性障害、社会不安、双極性障害、摂食障害、統合失調症、LGBTs、虐待、アディクション(依存症)など様々なメンタルヘルスや感情制御の問題に実証的研究が行われ有効性が示されている最先端の心理療法です。

  • 2019年3月に国内で初めて開催されたCFTの創始者であるポール・ギルバート博士によるワークショップに、スタッフの一人として運営に携わりつつ、トレーニングにも参加しました。
  • その他、2018~2024年まで、海外のCFT講師による「トラウマ治療」「アンガーマネジメント」「感情障害」「パーソナリティ障害」「愛着障害」「カップルや夫婦の関係性改善」「子育て・夫婦関係・家族関係」「統合失調症」など様々な臨床テーマのCFTワークショップの運営に携わりつつトレーニングに参加しました。
  • 日本国内におけるCFTの先駆的な研究者で臨床家でもある石村郁夫 東京成徳大学准教授によるCFTのスーパービジョンを2020年より受けています。
  • 2022年より前職にてCFTの集団心理療法のプログラムを構築し、ファシリテーターを6期務め、トレーニングを積み今に至ります。

社会的活動

  • 特定NPO法人 ぷれいす東京ボランティア・スタッフ:HIV陽性者を対象とした傾聴ボランティア
  • AGP活動メンバー:LGBTIQ当事者とその家族・友人を支援する、医療・福祉・教育・カウンセリング専門家の全国組織
  • 横浜市認定里親(養育)

所属学会

  • 日本心理臨床学会、日本臨床心理士会

誕生年と家族

  • 1976年3月生まれ
  • パートナーと里子の3人家族

どうして心理士になったんですか?

ときどき、クライエントさんからそう尋ねられることがあります。心の内を話す相手が「ちゃんと受け止めてくれる人なのか?」「どんな人なのか?」を知りたいと思うのは自然なことです。

 

カウンセラーは、神秘のベールに包まれた特別な存在ではなく、あなたと同じように生身の痛みを感じる人間です。正直にお答えすることで、クライエントさんの不安や孤独が和らぐこともあります。

 

少し長くなりますが、私が心理士を志した原点をお伝えしたいと思います。

 

※大切な人の自死にまつわる喪失のエピソードが含まれています。心がざわつく方は、読むのを後回しにするのも一つの選択肢です。辛くなったら無理せず中断しましょう。

落ち着くために、以下の方法を2~3分ほど試してみてください。

  • ゆっくり深呼吸する
  • 座ったまま軽くストレッチする
  • 手や足を優しくマッサージする
  • 周囲を見渡し、赤い物を10個探す
  • 目に見える物の名前をひとつひとつ口に出していく

続けるうちに、体や心の変化に気付くかもしれません。自分に合う方法を試してみてください。

ニコニコ仮面の「優等生」

幼い頃から、私はどこか周りと違う子どもでした。親とも兄弟とも価値観が合わず、「もしかして自分はもらわれた子どもなのでは?」と思うこともありました。幼少期のさまざまな出来事を経て、私はいつしか感情を簡単に切り離すことができるようになりました。そのせいか、周りからはいつもニコニコして、ぼんやりしているように見えたようです。幸か不幸か、勉強も運動も人一倍できる「優等生」だったため、家の外では私を好いてくれる人がいつも周りにいました。そのため、周りの大人は誰一人私のニコニコ仮面の下にある様々な感情が失われつつあることに気付きませんでした。

他人の感情は分かるのに他人と繋がれない

自分の感情は感じ取れなくても、なぜか他人の感情はよく分かりました。だから、特に大きな問題もなく、なんとなく中高生活を送っていました。進学校に通い、部活もやり(柔道部でした)、表面上は普通の生活を送っていましたが、自分から積極的に他人とつながることができませんでした。そんな中、高校3年生の秋、家を出ようと決意し、他県の大学を受験。運よく合格し一人暮らしを始めました。しかし、大学に入ってからは、周囲との違いをより強く意識するようになり、「人とつながれない」感覚に焦りを感じるようになりました。

「自分」を見失った夜

学生生活は続くものの、何をやっても長続きせず、自分が何をしたいのか分からない。社会に出る未来が想像できず、「もう山にでもこもるしかない」とさえ思っていました。そんなとき、学外サークルで知り合った医学部の社会人学生(Tさん)と親しくなりました。Tさんは精神科医を目指していて、何かと私を気にかけてくれる人でした。ある夜、下宿先にひとりでいた私は、ふと「自分がいるのかいないのか分からない」感覚に襲われました。困った私は、Tさんに電話を掛けて尋ねました。「えっと…ちょっと変なことを聞くけど…、僕っている?」と。Tさんは迷わず「うん。じん君はいるよ」と言ってくれました。すごくホッとしたのを憶えています。そのとき、私は生まれて初めて「自分がここにいる」ことを確かに感じることができました。

人とつながることの難しさ、そして温かさ

Tさんはただ優しいだけではなく、私が失礼なことをすれば本気で怒りました。「親しき中にも礼儀あり」です。罪悪感を抱いた私は、自分の間違った行動を心から謝り、関係を修復する機会をもらいました。よく二人で飲みに行き、遅くまでさまざまな話をしました。子どもの頃のこと、家族のこと、学校のこと、対人関係での失敗や不安、不満、将来への不安……いろいろな悩みを話しました。友人であり人生の先輩でもあるTさんとの付き合いの中で、私は自分のモヤモヤした気持ちを何とか言葉にしようと試行錯誤を繰り返しました。

 

そんなある時、Tさんは私に「じん君は臨床心理士になるといいよ」と言いました。その言葉に、人生の方向性を見失っていた20歳の私は、「よし、臨床心理士になろう!」と思いました。……農学部なのに(笑)。当然、周囲の理解は得られず、初めて抱いた夢でしたが、手放さざるを得ませんでした。

教師への道と、突然の訃報

その後、酪農家での農業実習を通じて教育の力に驚き、昔好きだった宮沢賢治を思い出したことから、心理士に近い対人援助職として教師を目指しました。農業高校の教師になり、担任を持ち、全力で生徒と向き合っていた3年目の秋。Tさんのお母さんからの電話で、彼が自死したことを知らされました。突然の訃報に、内臓をえぐられるような痛みを感じました。彼がこの世に居なくなってからすでに3か月が経っていました。お墓も建っていました。

 

研修医になっていたTさんと半年前に会い映画を見て笑顔で別れ、それから学校で子どもたちに対して命について話すこともあったのに。大切な親友が自ら命を絶って3か月もの間、何も知らずにのうのうと教壇に立っていた自分がおろかで間抜けな人間に思えました。教育者として教壇に立つ資格など無い、自分は子どもたちの前に立てる人間ではないのだと思い、翌年の3月で教員を辞めました。とてつもない喪失感に打ちのめされました。

抑えきれない想いとこみ上げる怒り

消えかけていた私を救ってくれた大切な人の痛みに気付けなかった——その申し訳なさ、後悔、そして情けなさ。どうして気づけなかったのか、どうして助けられなかったのか、そんな思いがぐるぐると渦を巻いていました。

 

それだけではありません。精神科医を目指すほど心の病に向き合っていたTさんでさえ、うつ病に命を奪われてしまうという恐ろしさ。そんな現実を突きつけられ、理不尽さへの怒りが込み上げてきました。Tさんを追い詰めた職場の上司や先輩たち、幼い頃に彼をいじめた人たち——Tさんを苦しめたすべてのものに対する怒り。

 

そして何よりも、彼自身に対する怒りもありました。 「辛いなら話せよ!格好つけんなよ!」そう叫びたかった。あれほど私を救ってくれたのに、なぜ一人で苦しんでいたんだ。なぜ頼ってくれなかったんだ。いろんな感情が一度に押し寄せ、心の中でどうしようもなくぶつかり合っていました。

心の灯を守る――20年越しの約束

Tさんの死への悲しみ、怒り、無力感。さまざまな感情を抱えながら、私は東京へ移り、約10年間、アルバイト、派遣、正社員、自営業などいろいろな仕事を経験しました。そんな中、東日本大震災を経て、「もう一度、臨床心理士を目指そう」と決意。心理学を学び、いくつもの大学で単位を積み重ね、臨床心理士養成課程のある大学院へ進学。そして40代になり、ようやく心理士としてのキャリアを歩み始めました。Tさんの死から20年。私はようやく彼との約束を果たせるところまできました。それは、「僕は人の心の中にある小さな灯(ともしび)を守る」という約束。彼のような苦しみを抱える人が一人でも救われるように。私と同じ苦しみを感じる人が一人でも減るように。そう願う気持ちが、私の原点です。

「本当の私」を見つける旅のはじまりに

私がどんな人間かを知ってもらうことが、あなたと一緒に痛みに向き合うために不可欠なことだと思い、私のことを書かせていただきました。最後まで読んでくださりありがとうございます。あなたが「本当の私」を取り戻す旅に伴走させてもらえたら幸せです。

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